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付かず離れず
梅田スカイビルにある屋内展望台で、くつろぐ人々のシーン。
眺めの良い窓辺にガラスのカウンターと背もたれのないハイチェアがあり、人々は一人ひとりが独立しながら、空中にわずかに身を乗り出したように腰掛けている。
居方を提唱した鈴木が見出したものの中には、「都市を見下ろす」と「たたずむ」がある。
前者は「その場所で都市を見下ろしている人を一緒に見ることで、観察者にとって都市を認識する材料が更に一つ増える」点が、後者は「何もせずに遠くをボーッと見ている人の全身が周囲から見えている」点がポイントとされている。
そして、このシーンは上記二つの居方に近いものの、同時にどちらとも異なる性質があるように思う。それは、周囲の環境や隣人、さらには観察者からほどよく距離をとりつつ、そこに居ること自体に絶妙な積極性を感じられる点である。
この独特の距離感や積極性を支えるのが、窓辺の環境と、それが内側のスペースと分節されている点である。
まず、窓辺の環境は、都市と対峙する複数の人間が横一列に並ぶセッティングをつくる。ここでは、高層ビルらしい太い柱が空間を明確に分けることで窓辺ができており、窓辺は室内と連続しながらも、奥行きの浅い良い意味でどっちつかずのスペースが生まれている。
加えて、家具の構成にもその差異が表れており、内側には安定感のあるラウンドテーブルと椅子が置かれる一方、窓際には華奢な家具が置かれている。これらの対比は、窓辺の空間を意図せず偶然生まれたような質を持つ場所にし、それによって人々の滞在は逆に積極性を感じさせ、観察者にとって人々はあえてその場所を選んでいるかのような存在としてみえるようになる。
また、展望台でありながら都市を眺めずスマートフォンに没頭する人が多いのも特徴的で、それでもこの場所にそぐわない印象がないのは大変に面白い。これには、上記の空間の分節だけでなく、開口部がガラス張りではなく壁のある窓であることが影響しているように思う。視線が必要以上に外に引き込まれず、都市の眺望と身体の存在感がどちらかに偏って強調されることなく、通常は魅力的な居方につながりにくい気がするスマートフォンの使用までもが自然な振る舞いとして許容されるようになっている。
これらの条件が重なり、都市とインテリア、都市を見下ろす行為とたたずむ行為の間に位置する、付かず離れずの居方が実現している。
【参考文献】
・ 鈴木毅:体験される環境の質の豊かさを扱う方法論, 舟橋國男編著:建築計画読本, 大阪大学出版会, pp.117-138, 2004.12
路上で一休み
大学キャンパスの緑地内のゆるい坂道にできた小さなくぼみに腰掛ける老夫婦のシーン。
まず、道に対して横並びで座り、視線の先の緑地がすり鉢状の斜面になっているのが良い。
建築家・手塚貴晴氏が青年期のデートスポットに堤防の土手を薦めていたが、それと同様の良さがある。確か、土手は二人のセッティングが向かい合わせにならないので会話がなくとも気まずくならず、傾斜があり寝転びやすいのでイチャつきやすいのも良い(青年たちにとっては切実な問題!)というような話だったと記憶している。
ここは路上なのでカップルがイチャつくことはなく(カップルたちはむしろ老夫婦の視線の先に広がる芝生の緑地を選ぶだろう)、シニアの格好の休憩スポットとして機能し、この老夫婦も散歩をしていると道端にちょうど座ることのできるくぼみを見つけたので一休みしたといった具合だろう。
その際、くぼみに対してスポット的に木陰がかかっているのもポイントで、気持ちの良い木漏れ日がくぼみを見つけやすくアシストしている。
そして何よりこの居方は、見ている者に人生をともに歩んできた二人の関係や、シニアが若者を見守るといった望ましい社会の構図を感じさせる点が最大の魅力だ。
道端にあるくぼみは傾斜の勾配が切り変わる際にできたちょっとしたもので、その小ささが老夫婦の身体的な距離を近づけ、長年寄り添った二人の親密さを表出させている。
また、想像がやや膨らみすぎであるものの、道は見る者に二人の歩んできた人生をも思わせ、道端に腰掛ける姿からは人生の途上で一休みしているさまを感じさせる。視線の先には若者たちが青春を謳歌しており、二人はその様子を見守っているのだ。
人間-環境系の分野では、「人間が環境の中に埋め込まれている」という表現をよくするが、この居方はまさにその状態を体現しているように思う。
道路でくゆらす
中央分離帯に居場所を見出した人々が喫煙しながら佇むシーン。
この居方が独特なのは、本来は滞在に向かない場所が人々の居場所になっている点だろう。そして、この場合のポイントは喫煙という行為にある。
臨床心理学者・東畑開人氏は、ある場所に無防備に人がただ居るというのはとても困難で脆いことだと、「居るのはつらいよ」というユーモラスなタイトルの著作の中で述べている。
例えば、「何か『する』ことがあると、『いる』が可能になる」と述べ、居るという行為が成立するためにはその場所に居るために何らかの行為を行う必要があると指摘している。続けて、この気づきのきっかけの一つになった喫煙のエピソードが述べられ、居場所をなくした著者が「気まずいときはタバコを吸っておけば、なんかいられる感じになる」と意外なタバコの効用に驚く。そうか、喫煙という行為には安定した居場所を一定時間確保できるというポイントがあることに私も気づいた(著作の中ではタバコはすぐに燃え尽き2本目のタバコをすぐさま吸い始めたとも述べられているのだが)。
また、東畑は続けて、居場所が本当の意味で成立するためには、他者を含めた環境に身を委ねることのできる状況を確保する必要があると述べる。この居方が駅前にあるブースで囲われた喫煙所と一線を画しているもう一つのポイントは、まさにその点にあるといえる。
具体的にみていくと、縁石やブロック型のバリケードといった環境要素はその場にたたずむことを目的に設けられたわけではない。スモーカーたちはこれらの環境要素を一時的に自らの行為に利用している。また、このポイントは、環境要素のみならず中央分離帯という場所自体にも当てはまる。道路の中央に設けられたスポットは、近年、喫煙を排除する傾向がある公共空間の中で喫煙者が禁煙者と適切な距離をとることのできる貴重な場所でもあり、スモーカーたちは車を分離するために設けられる中央分離帯を分煙の空間として利用している。こうしたスモーカーたちと環境の間で必要や状況に応じその場限りで構築される関係があるからこそ、このシーンで見られる豊かな「居る」が実現できているのだ。
さらに、この居方が成立している重要なポイントには、スモーカーが一人ではない点がある。複数の他者が集まるからこそ安定した喫煙スポットとなりうるのであり、これは先にみた喫煙という一定の時間が必要不可欠な行為だからこそ実現できているように思う。
スモーカーたちはなんの気なしにそこに居るかのようにみえたが、そこには喫煙という行為を排除する今日の公共空間の中で高度に「居る」を実践するスモーカーたちの姿が感じられた。
【参考文献】
・ 東畑開人:居るのはつらいよ: ケアとセラピーについての覚書 (シリーズ ケアをひらく), 医学書院, 2019.2
水平線を眺める
車窓から見える水平線に魅了される乗客たちのシーン。
海岸線を走る電車に乗っていると、視界がパッとひらけ水平線が広がる風景に出くわすことがある。
日常的に使う電車は窓を背にして座る横に長いロングシートの形式が多いから、視界がひらけると水平線側の乗客は振り返って身を乗り出すようにその風景を眺め、反対側の乗客は広がる風景に見入る人越しにそのシーンを体験することになる。
水平線が広がる風景は、海辺に佇んだりビーチで思い思いの滞在をしたり、のどかでおおらかな居方を生む。
このポイントはまず、水平線があることで海という巨大なスケールと向かい合わせの構図ができ、海と人間が対峙するようなセッティングが生まれる点だろう。これは、足下の土地が放射状に続いていく感覚のある地平線とは異なる、水平線が持つ独特の魅力だと思う。
また、水平線は目一杯の直接光に加え水面からの反射光があり、晴れた日は光に満ちた環境ができるのもポイントだ。
こうした大きな環境がもたらす明確な構造や、光によって一層大きく感じる気積のおかげで、個人個人が自立して見え、豊かな居方を成立させている。
そしてこの居方は、水平線の広がりやそれがもたらす明るく穏やかな光を電車という特殊な空間の中で体験できる点が何より良い。
まず、電車からの景色は線路によって建物が一定の距離をもってセットバックしており、加えて車窓は人が出入りすることがなく景色と光を純粋に取り込むので、電車の中では私たちは建物や人影に邪魔されることなく安定した風景を楽しむことができる。
また、海岸線を移動する電車は、私たちに動的な体験を提供し、広がる水平線がどこまでも続いているのだということを海辺に佇むときよりも手応えをもって実感することができる。
さらに、閉鎖空間である電車の中で他者と同じ風景を共有することで、見ず知らずの乗客たちの間に一体感のようなものが生まれる。
これらのセッティングが見事に組み合わさったとき、私たちは奇跡のようにすら思う感動的なひとときを体験することができる。
居方とは?
居方とは、人が住まい方をはじめ読書や食事など様々な行為の仕方を選択しているのと同様に、人がある環境の中にどのように居るかということにも積極的な価値があるとし、人間が環境の中で体験している質の豊かさを扱う方法論として建築計画学者の鈴木毅氏が提唱するものである。
居方の質を語る時の基本的な着目点は3つある。
① 居場所としての安定性:その人が物理的・社会的に安定した場を造っているかどうか
② 周囲との関係:当人が他者や環境をどのように認識しているか、あるいは逆にその人が他者からどのように認識されているか
③ 獲得のプロセス:人がその居方を意識的に選び取ったのかどうか
基本的に居方は、都市空間の中で“ああいいシーンだな”と感じるものがどういうふうにいいのか、なぜいいのかを言語化しようとしており、これまで「都市をみているあなた」「公共の中の自分の世界」「たたずむ」「あなとと私」「居合わせる」「思い思い」「行き交う」「都市を背景として」「都市を見下ろす」「都市の構造の中に」といったタイプが見出されている。
また、居方の基盤には「人間は『他者の居方を通して環境を認識している』」という考えがあり、鈴木は「ある人は、(自分自身では直接みえない)自分がその場に居る様子を、たまたま隣りにいる他者の居方から教えてもらって」おり、「他者と環境の関係は、観察者自身の環境認識の重要な材料を提供している」と述べている。
「あなたがそこにそう居ることは、私にとっても意味があり、あなたの環境は、私にとっての環境の一部でもある」
【参考文献】
・ 鈴木毅:体験される環境の質の豊かさを扱う方法論, 舟橋國男編:建築計画読本, 大阪大学出版会, 2004.12
* このページでは、上記の方法論をもとに、筆者が撮影した“いいシーン”をこれまでの居方のタイプに当てはめたり自分なりに言語化したりしながら紹介しています。